Wednesday, October 17, 2012

NOTES ON SŌSEKI. #1


NOTES ON SŌSEKI. #1



When I was asked who I thought was Japan’s greatest novelist, I did not even hesitate to answer, “Natsume Sōseki, of course.” Now, understand that the person asking my opinion was himself Japanese; however, I have never had an American ask me that question. Indeed, my experience has been that very few Americans, and but a few more Europeans, have ever heard the name “Sōseki” or know anything about his body of work. If you have never read any of his novels, even though you may have heard one or two titles; for example Wagahai wa Neko de Aru (吾輩は猫である) or as it is known in English, I Am a Cat, or the darker Kokoro: Sensei no Isho (心 先生の遺書), commonly referred to in the West as Sensei’s Testament or even more generally, Sensei and I.
It is neither my intention nor purpose to write Sōseki’s biography here, although from time to time I plan to touch on events or aspects of his life, particularly as they acted as catalysts in his writing and his theory of literature. I will say briefly, just so you know, that his real name, his birth name was Natsume Kinnosuke (夏目 金之助) and he was born on February 9, 1867). He is widely regarded as the foremost Japanese novelist of the Meiji Era (1868 – 1912. He was also a scholar of English literature and a composer of haiku, Japanese short poems of 5-7-5 syllables. His portrait appeared on the front of the 1000 en note, and in Japan, although he died on December 9, 1916), he is still considered the greatest writer in Modern Japanese history, having had a profound effect on almost every modern Japanese writer of importance.
After much discussion, really all of it enthusiastic, we have decided to undertake what will no doubt prove to be a long-term project, that being to translate all of Sōseki’s novels and a fair portion of his poetry and essays, and to present them to new, modern Western readers. That is not to say that those of his works that have been translated into English are not good; it is simply that we feel that they may be made better, not only to attract new readers, but to provide those readers with insights into the Meiji Japan of Sōseki, his own experiences, his views, his prejudices, to make more apparent his often hidden wit, as well as to entertain the them and just perhaps, bring about thought and even introspection.
If you have a taste for the sarcastic, the ironic, the sardonic, if you enjoy dry wit, then I would recommend to you I Am a Cat, a novel originally published as a serial, then in three volumes, and then consolidated into one, in which a haughtily disdainful or even contemptuous, feline narrator (“As of yet I have no name.”) describes and comments upon the lives of more than a few middle-class Japanese people (and cats) including Kushami Chinno (珍野苦沙弥), Mr. Sneeze , the owner of the “cat with no name,” as well as his family; Mr. Sneeze’s annoyingly pretentions friend Meitei (迷亭), otherwise known as Waverhouse; and Avalon Coldmoon (Mizushima Kangetsu, (水島寒月), a young, love-struck scholar. Even if you know nothing about Meiji Japan, you will enjoy the book; and the more you do know about Japan and that period of its history, the more you are likely to have fun with it.
If you prefer things darker, cerebral, and ironic, then I would suggest Kokoro. Written in 1914, it too was first published as a serial in the Aasahi Shinbun newspaper. The word “kokoro” translates literally as “heart” but it can also refer to “the heart of things” or to “feelings. The story deals with the friendship (albeit sometimes distant), between a young man and an older man he calls “Sensei” or “teacher” at a time when Japan was transitioning to the modern era and touches on such topics as egoism, guilt, and shame, as well as the ideals and roles of Japanese women at that time, the changes in values from one generation to another, the role of family, the importance of self rather than the group, the price of weakness, and one’s own identity.
We hope you will pick up and enjoy either or both of these novels while we roll up our collective sleeves and get to translating.

Wednesday, May 9, 2012

GOHON TO LEBA: By Tachibana Miyabi





ごほんと言えば


龍角散と言えば喉の薬。江戸時代から伝わる喉の痛みや咳きタンに効く生薬です。昭和41年頃、『ごほんと言えば龍角散』のコマーシャルが流行し、あっという間に人気商品になりました。おそらく、どこの家庭にも、薬箱を開ければ銀色の小さな丸いケースに入った龍角散があったと思います。
 当時,小学校一年生だった宮ちゃんの家にも龍角散がありました。一年中いつでも薬箱の中に入っていました。一日たりとも切らしたことがありません。
  龍角散は宮ちゃんにとってとっても大事な薬でした。学校から帰ってくると、いつも出迎えてくれるのはおじいちゃんです。おばぁちゃんは半年前に天国に行ってしまいました。学校の先生だったお母さんは6時にならないと戻ってきません。宮ちゃんはランドセルをおろすとすぐに居間に行き、おじいちゃんと一緒にテレビを見ながらお母さんを待っていました。テレビはいつも相撲です。大鵬が出てくると、おじいちゃんは「そこだ、行け、いけ、よし!」と大きな声でテレビに向かって応援します。でも、時々、テレビを見ている途中で、おじいちゃんは苦しそうな咳をします。そんな時、おじいちゃんは、薬箱から龍角散を取り出して飲んでいました。ある日、おじいちゃんの代わりに宮ちゃんが薬箱から龍角散を出して渡したことがあります。
「宮子はよう気がつくなぁ」と言われたのが嬉しくて、その日から、おじいちゃんが「ごほんといえば龍角散」を渡すのが宮ちゃんの大事な仕事になりました。
 おじいちゃんは銀色のケースを受け取ると、骨ばった長い指で蓋をあけ、小さな匙に白い粉を入れて口の中に放り込み、それを3回繰り返してお茶を飲みます。時々、口の中に入った粉が白い煙のようになってモワッと飛び出してくることもあります。おじいちゃんは眉間にしわを寄せて口を結び、真っ白な口ひげについた粉を軽く指で払うのですが、その表情が、宮ちゃんにはとてもかっこよく見えたのです。おじいちゃんが『剣聖暁の三十六番斬り』に出てきた辰巳龍太郎に見えました。お父さんもお母さんも「全然似てない」といいますが,宮ちゃんの頭の中では、おじいちゃんと辰巳龍太郎がぴったり重なっていました。
 宮ちゃんの友達の中で、辰巳柳太郎を知っている子は誰もいません。毎日、おじいちゃんの好きなテレビや映画を見ているうちに,時代劇の役者さんの名前をほとんど覚えてしまったのです。おじいちゃんとお風呂に入ると、100まで数える代わりに、浪曲を歌ってくれます。歌い終わるまでは湯船から出してもらえません。大好きなおじいちゃんでも、一緒にお風呂に入るのは嫌いでした。でも、そのおかげで、三波春男の『俵星玄蕃』をセリフ入りで全部暗記してしまいました。友だちは皆、ザ・タイガースのジュリーに憧れています。その中で宮ちゃんだけが、三波春男のファンでした。
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『剣聖暁の三十六番斬り』は荒木又右衛門の36人切りを描いた時代劇。辰巳柳太郎は柳生十兵衛役で登場

時代劇が大好きだったおじいちゃんは、名古屋の『御園座』に新国劇が来ると必ず宮ちゃんを連れていきました。おじいちゃんと出かけるときは、お父さんに買ってもらった犬の形をしたバッグをぶら下げ、その中にはハンカチとハナガミ,お菓子が少し、そして大事な龍角散をいれます。でも、芝居を観ている間,おじいちゃんが「ごほん」といったことはほとんどありませんでした。
 手先が器用だったおじいちゃんは、宮ちゃんのために、本物そっくりの刀を作ってくれたことがあります。竹を削って銀紙を巻いた刀で、宮ちゃんとおじいちゃんはチャンバラごっこをして遊びました。もちろん、戦いの途中でおじいちゃんの咳が始まったら、宮ちゃんは刀を置いて、薬箱まで走っていき、銀色のケースを取り出して急いで戻ってきます。龍角散を飲んだあとは、面白い昔話や強い侍の出てくるお話をしてくれました。

  宮ちゃんが初めて龍角散を飲んだのは、小学校一年生の冬休みです。風邪をひいて扁桃腺が真っ赤にはれ,つばを飲み込むと喉の奥を爪でこすったような痛みがあります。「のどが痛い」とお母さんに言うと、「じゃ、これ、ちょっと飲んでごらん」と、お母さんはテレビの横に置いてある薬箱から銀色の丸いケースを取り出しました。
「これ、おじいちゃんのだよ」
 宮ちゃんが言うと、
「うん、ちょっともらおうね。辛いけど我慢して飲んで。ほら、口開けて」
 お母さんは銀色の蓋を外し、備え付けの小さな匙で粉をすくって宮ちゃんの口に近づけました。でも口に入る前に、宮ちゃんの鼻息きで粉が舞い上がってしました。
「やだ、宮子、息止めて飲むの」
 お母さんに言われ、宮ちゃんは息を止め口を開けました。小さな匙にてんこ盛りにした粉が入ったとたん、初めて経験した余りにもひどい味に、思わずハァーっと息を吐き出し、龍角散の粉煙を吹き出してしまいました。悪いことに、舌の奥に粉が張り付いて、辛いような苦いような何ともいえない嫌な味がします。宮ちゃんが狂犬病の犬のように舌を出してハァハァやっていると、お母さんが笑いながら水を持ってきてくれました。コップの水を一気に飲んでなんとか嫌な味は治まったものの、喉に入った龍角散はほんのわずか。宮ちゃんの龍角散初体験は大失敗です。おじいちゃんのようなかっこいい飲み方はできませんでした。二度目に飲んだ時も、眉をしかめることはできてもすぐに口をあけてハァハァやってしまいます。おじいちゃんの真似をしようと思っても上手くいきません。こんな不味い薬を平気な顔で飲んでいるおじいちゃんが、チャンバラ映画に出てくる強いお侍のように思えてきました。
 宮ちゃんはおじいちゃんが龍角散を飲んでいるとき、じっと顔を観察しました。粉が口に入ると眉根を寄せ怒ったような顔になるときもあれば、全く表情が変わらないときもあります。そんなおじいちゃんの顔の中で一番好きなのが、目を細めてヒゲについた粉をゴツゴツした指で軽くはたく時です。宮ちゃんの頭の中で、おじいちゃんの顔が辰巳柳太郎から大山克己になり、時々『仮面の忍者赤影』の幻妖斎になったりします。みんな宮ちゃんが大好きな役者さんです。
 宮ちゃんが上手に龍角散を飲めるようになった頃,おじいちゃんの咳は前よりももっとひどくなっていました。もう龍角散ではなおりません。それでも、宮ちゃんが龍角散を渡すと、「宮子はよう気がつくなぁ」といって、小さな匙で粉をすくい口の中にいれます。でも酷い咳でむせ返り、龍角散の白い粉は全部口から吹き出てしまいました。宮ちゃんのお気に入りだった表情は見せてくれません。それからほどなくして、おじいちゃんはおばぁちゃんのいる世界へと旅立っていきました。

 おじいちゃんが亡くなってしばらくは,薬箱の中に龍角散が入っていましたが、年の移り変わりと共に、新しく発売された別の咳止めに変わっていきました。

 今、宮ちゃんはお母さんになりました。小学生の男の子が二人います。子供たちが風邪をひいて喉が痛いというと、宮ちゃんは銀色の小さなケースに入った龍角散を与えます。
「これまずい」
 と子供たちは嫌な顔をしますが、白い粉煙を吹き上げるような下手くそな飲み方はしません。でも、おじいちゃんのようなかっこいい飲み方ができるようになるのは、ずっと先の話です。
  薬局の咳止めの棚には、子供でも飲みやすいように味付けした甘い龍角散があります。それを見るたびに宮ちゃんは、このごろは色々なものが甘くなってしまった、と寂しさと諦めに似た気持ちが複雑に絡み合います。
 宮ちゃんは甘い龍角散には手をだしません。今でも薬箱には、銀色の小さな丸いケースに入った昔ながらの龍角散が入っています。


        (了)





ごほんと言えば, Gohon to leba, . Copyright © 2012 by Tachibana Miyabi and Shisei-Dō Publications. English Version Copyright © 2012 by Tachibana Miyabi and Shisei-Dō Publications. All rights reserved under International and Pan-American Copyright Conventions. Published in the United States and Japan by Shisei-Dō Publications. No part of this publication may be reproduced or utilized in any form or by any means, electronic or mechanical, including photocopying, recording, or by any information storage and retrieval system without prior written permission of the author or publisher, except in the case of brief quotations embodied in critical articles or reviews.